さちさきインタビュー

ガーデナーとは、自然への奉仕者のこと。
これが天職だと、深い喜びを感じた瞬間がありました。

インタビュー

十勝千年の森

ガーデナー

新谷みどり

以前、縁あって取材したガーデンデザイナーが、「十勝千年の森」のガーデナー新谷みどりさんのことを、「庭の化身」と称していた。その後、新谷さんに取材する機会があり、会って話を聞いてなるほどと思った。すべてを庭に捧げたその姿は、まさに奉仕者だった。“みどり"という名に、何か運命を感じるほどに。もっと話を聞きたかったので、さちさきのために再度、取材に行ってきました。

ガーデナーの仕事は完全な裏方です

グラス

――新谷さんは「十勝千年の森」で、ヘッドガーデナーとして仕事をしているんですよね。まずはガーデナーという仕事について、どう考えているのか教えてもらえますか。

新谷:ガーデナーは裏方だと思っています。主役は庭であり植物であって、ガーデナーはそれを見守り、そっと手助けする役割を担っています。庭への奉仕者のような立場です。ここでは、ガーデンデザイナーであるダン・ピアソンがデザインした庭を作っています。

――デザイナーとガーデナーは別なんですね。

新谷:ガーデンによってさまざまですが、十勝千年の森は別です。わたしにとってダンのデザインやコンセプトは道標であり、図面は地図のようなもの。庭をとりまく自然環境を理解しながら、設計家の思い描く姿に近づけていくのがわたしたちの仕事。ダンは植物への知識と愛情が深く、ガーデナーの仕事にとても理解があるので勉強になります。デザイナーとガーデナーがタッグを組む場合、つくりあげる庭のイメージの共有が大切ですが、ダンとわたしはできている…はずです(笑)少なくとも方向性は間違っていないかな。ダンに最初に会った時、森に入って自然の植生を一緒に見ながら、ダンが庭で何をしたいのかを話してくれたことがありました。その時、庭がどこに向かっているのか、スッと理解できたんです。だからダンに「あなたの言っていることがわかったような気がする」と言ったら、「あなたがわかってくれたのがわたしにもわかった」と言われて。とても安堵したのを覚えています。

――数年前のガーデンブームを経て、庭づくりをしている人が増えました。アマチュアとプロの違いはどこにありますか。

新谷:趣味の庭では、手入れをする本人が庭づくりを楽しみ、気持ちよく感じることが大切ですね。プロになると、とりわけ公開庭園のガーデナーになると、庭を訪れる不特定多数の人々のために、いかに心地よい場をつくっていくかが課題となります。庭が訪れる人々に“気づき”を与える場となることが重要になってきますね。十勝千年の森の庭は、ここを訪れるすべての人のもの。いつもたくさんの人々をおおらかに受け入れる、そういう素敵な場であるために、ガーデナーは庭のコンディションの変調にいち早く気付いて、効率よく手を動かさなければなりません。優秀なガーデナーかどうかは、植物への知識の深さだけではなく、実はここで決まるのだと思います。人間の都合ではなく、植物のコンディションを最優先に感じ取れるかどうか、そしてそれに迅速に対応できるかどうか。これが最も大事です。

――チームを組んでシゴトをしているそうですが、今おっしゃっていたように効率よく業務を進めるために、ヘッドデザイナーとして心がけていることがあれば教えてください。

新谷:チームワークを重視しています。ご覧の通りここは広大ですから、それぞれのガーデナーが庭や植物のコンディションをこまめにチェックし、その変化をガーデナー同士がしっかりとコミュニケーションを取ってチーム全体で把握することが重要です。チームが一体となって動くことを徹底しなければ良い庭は生まれないと考えています。

庭の役割は、人と自然とを繋ぐこと

庭2

――毎日、具体的に何をしているんですか。

新谷:清掃からはじまって、除草、植栽、剪定、間引き、花がら摘みなど、ひとことで言えばメンテナンスですが、とにかくたくさんの作業があります。庭は人間が手を加えることで、より美しく気持ちの良い状態を保つことができます。植物は自分の力で育ちますが、ちょっと手助けしてあげると、その魅力を最大限に発揮するようになります。いい庭とは、見えないところまでよく手入れの行き届いた庭のことだと感じています。

――相手は生き物。思うようにいかないこともたくさんありますよね。

新谷:それもまた庭づくりの面白いところで、思い通りにいかないことに喜びさえ感じることも。懸命に育てた植物が枯れてしまっても、この育て方に無理があったんだ、よしじゃあ、次はこうしよう、と。自然と折り合いをつけながらつくっていくのはとても興味深く楽しい作業です。

――前回、新谷さんにお話を聞いた時、「庭は人と自然と繋ぐ役割、橋渡し」という言葉がとても印象に残りました。実際、「十勝千年の森」で私もそれを実感しました。すぐそばにあるけど近寄りがたかった手つかずの大自然が、庭を通すとグンと身近になりますよね。「アースガーデン」では、丘の効果で、遠くの山並みがすごく近く感じられ、一体感すらありました。これが丘ではなく真っ平らな平野じゃ、“遠くの山並み"で終わっていた感じがします。庭の役割について、もう少しお話してもらえますか。

新谷:そうですね。庭は人と自然をつなげる場所。人が楽園に憧れるような、そんな思いで庭をつくったのが原点だと思っています。だから、庭は人が幸せを感じる場所なのだと信じています。さらに、十勝千年の森のような一般公開型のガーデンは、これからは庭を通して何かしらのライフスタイルの提案ができるようになっていくことが大切だと考えています。例えば草花をどう組み合わせて植えるかに始まり、そこからどのように生けて暮らしに取り込むか、またキッチンガーデンでは育てて収穫したものをどのように食べるか、と食卓にまで繫がっていきます。庭を訪れた人が、心に響いて持って帰れる何か、自分の暮らしに取り込める何かが、惜しみなく提案できる場でありたいですね。

自然が優位な庭づくりに憧れ
スウェーデンに武者修行へ

はさみ

――いくつの時に、この道に入ったのですか。

新谷:実はガーデナーそのものの修業を始めたのは、30代になってから。もともとは大学で造園学部に進み、造園設計から日本庭園の実習カリキュラムなどを学びました。でもそこで迷いが生じてしまい、卒業後に個人邸を中心とした造園設計事務所やバラの専門家の元で仕事をしながらも不毛に悩んでいるうちに20代が終わってしまったという(笑)


笑)

――何をそんなに悩まれたのでしょう。

新谷:中学生の頃から建築や庭の図面を見るのがとても好きでした。特に素晴らしい建築家や造園家の生み出す質の高い設計には憧れがありましたが、自分にはそういった設計する能力はない、ということに、ある時、気づいてしまったんです。それなりに、つらい経験で挫折でもありました。その後、自分には現場があっている、土をいじることに集中する環境が最もあっていると気づいたのですが、具体的に何をどのように進めればいいのか、また悶々としてしまった。進むべき道が日本庭園の職人ではないということはわかっていたし、当時大ブームだったイングリッシュガーデンを目指すことも違うというのがよくわかっていた。そのうちに本当に庭の仕事でいいのか、もしかしたら別の仕事なのかもしれない、そんなことまで考えました。

――でも、庭だったんですね。

新谷:そうなんです、結局何をしていても庭に気持ちがいく。だから30代でようやく、「やっぱり庭しかない。ガーデナーの修業をしよう」と決め、スウェーデンに修業に行きました。

――その悩んでいた時代の新谷さんが愛おしいです(笑)。迷って迷って考え抜いて決めたところに、なにか信念というか強さを感じます。修業先をスウェーデンに決めた理由はなんだったんですか。

新谷:学生の頃から気になっていた「ローゼンダールガーデン」という庭があるのがスウェーデンでした。スウェーデンの豊かな森と湖のある環境にもひかれました。伝統的な様式があるわけではなく、「スタイルがないのがスウェーデンのガーデンスタイル」と言うほど、それぞれの庭が思い思いに独自の庭づくりを実践していました。圧倒的に自然が優位な環境で、スウェーデンのガーデン文化が築かれていく、その発展途中にあるところにも強く共感するものがありました。それで思い立って、現地へ。

――「ローゼンダールガーデン」には、すぐに入れたのですか。

新谷:ローゼンダールと連絡が取れないまま現地入りし、やっと話ができたものの、既にその年の研修生を取る試験が終わっていました。そこで最初の年は「ミレスゴーデン」という他のガーデンのヘッドガーデナーを何度も訪ねて話し、ほとんど飛び込みで修業させてもらうことになりました。今思えば無茶苦茶ですよね(笑)。ミレスゴーデンでは昼はヘッドガーデナーや先輩ガーデナーの元で勉強し、夜は語学学校という生活を過ごし、巡ってきた冬に翌年のローゼンダールの研修生になるべく改めて面接。合格して無事に修業に入れました。ガーデナーの卵ですからとても貧しく質素な暮らしだったけれど、仲間にも恵まれ、多くのことを体得でき、すごく幸せな時間でした。


待ったし、遠回りの多かった人生の中で
「十勝千年の森」は運命の出会い

メイン

――「十勝千年の森」に就職したのは、帰国してすぐですか。

新谷:それがまた遠回りをする人生で、そうじゃないんです(笑)スウェーデンで修業して以来、公開庭園のガーデナーになることを目指してきましたが、留学から帰って来て、まずは日本の造園技術、特に庭がどのように造られていくのか、土の下のことを改めて勉強しようと、造園会社に就職しました。留学から帰って来ただけで「何か大きなことを達成したと決して勘違いしないように、一番きつい分野へ!」という戒めのような思いもありました(笑)

――ガーデナーとしてではなかったんですね (笑)

新谷:はい、いわゆるガーデナーとしてではなく(笑)、日本の造園の世界です。庭園管理だけでなく、モルタルを練って張り石の目地を入れたり、お寺や公園の造園土木工事などの土方のような仕事も経験しました(笑)。京都で修業した厳しい親方に怒鳴りつけられ、自分なんて何の役にも立たないと思い知らされた2年間。でも、そのおかげで謙虚に、タフになれましたよ。庭を造っていく過程がよく理解できるようになった。大ケガをしてやめてしまいましたが、本音を言えばもう1年経験を積めると理想的でしたね。それからケガが治って、宿根草の苗を専門に生産するナーサリーに勤めたあと、十勝千年の森に出会いました。

――確かここは、トントン拍子で話が決まったんでしたよね。

新谷:はい。いろいろな勉強をさせていただき、いよいよガーデナーとして自分が本当にシゴトをしたいと思える庭を見つけようと北から順番に探し始めたら、最初に十勝千年の森と出会ったのです。「わたしはここに行くことになる」と、すぐに強く感じました。豊かな森の自然に恵まれたこの場所なら、自分が培った経験や技術が生かせるとも思った。やはり自分が好きだと思う庭に携わらなくちゃダメですよね。とても運命的な出会いでした。すぐに連絡を取り、それから2週間後には十勝に引っ越していました(笑)ガーデナー修業を決めるまで7年、プロのガーデナーとして庭と出会うまで4年と、長く待つことが多かったけれど、決まる時は早いですね。回り道をいっぱいしたけれど、いろんな世界を見てからここに来られて、本当によかったと思っています。


一生こうしていられる
そんな風に思えた幸福な瞬間

収穫1

――新谷さんにとってシゴトとは。

新谷:自分の生き方を知るために必要なこと、ですかね。シゴトには自分の本当の姿が出るし、私自身、シゴトを通して自分の生き方や物の捉え方を知ることが多いです。そしてシゴトをするということは悲しいことも楽しいこともあらゆる感情を乗り越えて純粋であるのだと感じています。

――新谷さんとお話していると、信念というか使命感というか、何か1本バシッと通ったものを感じます。

新谷:うーん、それは自覚ありませんが、この仕事は天職だと感じた瞬間が確かにあります。スウェーデンでガーデナーの卵として仕事していた頃、ある日、キッチンガーデンでいつもの草取りに夢中になっていたんです。そうしているうちに、突然それまで聞こえていたはずの人の声も鳥のさえずりも何も聞こえなくなって、次の瞬間には私は一生こうしていられる、ガーデナーは自分にとって天職なんだってわかった。それは、今までに経験したことのない深い喜びと幸せを感じた時間でした。

――感動的ですね。それ以降、ムダに揺れないというか、迷いがなくなりませんでしたか。

新谷:そうなんですよね、全く迷いがなくなった。庭というものと初めて真正面から向き合えた感じがありました。以来、目的に向かって、何が足りていないのかなど自分の課題が客観的に見られるようになりました。迷っているうちはいろんな思いや葛藤に苦しみますが、それはとても大切な経過だと思います。

――最後に、今後の夢を聞かせてもらえますか。

新谷:“もっと良い庭にする"ことの積み重ねですね。あらゆることをムダにせず、学んで、いろんな経験を積んで、ていねいに年を重ねていきたいです。具体的には、十勝千年の森の庭をダンやメンテナンスチームの皆と一緒にもっとよりよきものへと追求したいですし、他のガーデンのたくさんのガーデナーたちにも会いたい。それから、フランスのガーデンに支柱の勉強をしにいかなくちゃ、育てているバラのことをもっと理解できるようにならなくちゃ、世の中にたくさんある素晴らしい専門書をもっと読まなくちゃ…と終わりがないですね。そしていつか、十勝千年の森の次の世代を引き継ぐヘッドガーデナーとも出会わなくてはいけません。夢がいっぱいです。

――孫田:希望の未来ですね。どうもありがとうございました!

十勝千年の森

http://www.tmf.jp/

清水町羽帯南10線

TEL/0156・63・3000

名前新谷みどり
年齢1972年生まれ
性格好奇心旺盛、よくもわるくも正直
趣味読書(おもに庭に関する本)と旅(おもに庭を訪れる)
シゴトのモットー庭という場の裏方に徹する
好きな作業すべての庭仕事(あえて言うならば、たくさんの発見がある除草作業)
嫌いな作業特にないけれど、せっかく育てた植物を虫が食べ過ぎると「ほどほどに…」と思う
これからのこと「もっとよい庭を!」その積み重ね
シゴトとはあらゆる感情を乗り越えて純粋であること

孫田二規子

OFFICE CATI  孫田二規子(まごたふみこ)

1972年、札幌生まれ、札幌在住のフリーライター。
道内をぐるぐるしながら、やわらかいものからかたいものまで、いろいろ書いています。